表参道の有名店での10年の勤務を経て、横浜ACEのオープニングスタッフとしてH.companyに入社。
店長職に就き、店舗運営やマネジメントに携わる。
現在は2018年1月にオープンした町田の新店舗Aimeeのディレクションも並行して行っている。
1日でも早く美容師になりたかった
きっかけは、覚えていない。
ランドセルに、ヘアワックスとスプレーを入れて登校。
中学生になる頃には友達の髪の毛をカットしていた。
いつの間にか髪の毛に興味を持ち、美容師だけを目指した。
カットコンテストに明け暮れた専門学生時代。
待ち焦がれた美容に没頭できる日々は、楽しくてしょうがなかった。
新卒で入社した表参道の有名大型サロンではクリエイティブワークに重きを置き、ヘアショーや業界紙の仕事を数多く経験。
在籍10年を迎えたタイミングで、転職を考えるようになる。
「もっとサロンワークをしたいなと思ったんです。大手のサロンだったからベテランが多くてチャンスが来ないというのもあったし、実際自分がどれくらいできるのかも試してみたかった。」
横浜に新店舗を出す準備をしていたオーナーの塩澤との出会いもあり、H.companyへの入社を決意した。
前のサロンのお客様には、何も伝えられないままでの退職。
文字通り0からのスタートを切った彼に与えられた新しい肩書きは、店長だった。
認めてもらうために、誰よりも頑張る
ACEのオープニングとして集まったのは、他のサロンで経験を積んできたスタイリストばかり。
「みんな店長がやりたかった中で選んでもらったけど、皆は僕の仕事ぶりを知っているわけじゃない。いきなりこの人に着いていけなんて言われても、納得しないですよね。」
どんな接客をして、どれだけの技術を持っているのか、数字は作れるのか。
まだ、お互いが何も知らない。
ましてや店長としての運営管理やマネジメントの職務は、彼にとって初めての経験だった。
「施術のスピードも売り上げもお店のムード作りも、全部自分が一番頑張らないといけない。じゃないと認めてもらえないと思いました。」
オープンからしばらくは、オーナーとのミーティングが毎日夜中まで続いた。
スタイリスト一人ひとりが前のサロンの考え方や技術を持っているからこそ、営業スタイルや接客の統一は難しい。
そこで決めたのが、「自由にさせる」ことだった。
「僕もそうだったけど、これまで思うように営業ができなかったスタッフが多かったんです。先輩に色々言われたり、気を使う環境だったり。そういうのを排除して、やりたかった営業スタイルで働いてもらいました。いいところを残しつつ、横浜のお客様に合うように調整しての繰り返しでしたね。」
お客様目線での技術や接客を大切にし、自分もスタッフも楽しく仕事できる環境づくりを目指した3年間。
ACEはH.companyでも随一の集客力を誇るサロンになった。
独り立ちしたときに困らない確かな技術を教えたい
現在、ACEとAimeeに在籍するアシスタントは5人。
生え抜きのスタッフとして育っていく彼らには、カリキュラムごとの試験の合格基準が高く設定されている。
下積みを長く積んだスタイリストが多いため、彼らが1つ1つの技術を丁寧に教え込む。
スタイリストデビューした後も困らない技術を身につけてもらうためだ。
「接客も技術も両方を同時にこなす美容師の仕事は、結構究極だと思うんですよね。」
アパレルに例えれば、作る人と売る人は仕事が全く違う。
デザイナーは物を作るけど、手に取ったお客様の笑顔は直接見られない。
売る人は笑顔を見られても、作る喜びは感じられない。
その両方を体験できる楽しさがある分、全て自分の責任だから逃げられない。
「長くこの仕事を続けようと思うと、学べる時間は本当に短い。ここで育つスタッフたちが自信を持って現場に立ち続けるためにも、教える技術のレベルを保つのが僕の仕事かなと思っています。」
いい仲間とできるだけ長く美容師をしていたい
3年前の自分は独立願望が強かった。
とにかく自分の店を持ちたい。
その通過点としてこの会社を選んだ。
それがいま、すこし変わりつつある。
「ACEやAimeeで働いている毎日が、ただただ楽しくて。良いスタッフに恵まれて、いまの時点では、これ以上の環境を作る自信はないですね(笑)」
変化が多い業界だとしても、いい仲間とできるだけ長く美容師をしていたい。
目標は、シンプルになった。
出勤日は両方の店舗に顔を出し、サロンワークも欠かさない。
忙しい毎日を「楽しいです」と話す彼の笑顔には、一点の曇りもない。
1984年生まれ / 美容師歴15年 / 群馬県出身 / 国際文化理容美容専門学校国分寺校卒
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